REVIEW 1
「言葉」で振り返る
「音で観るダンス」
[演出家、かもめマシーン主宰]
萩原雄太
Hagiwara Yuta
演出家、かもめマシーン主宰、はぎわらゆうた
「音で観るダンスのワークインプログレス」というプロジェクトに対して、冊子とWEBの形で発行されたインタビューのまとめという立場で3年にわたって携わってきた視点から、このプロジェクトの経緯を振り返る。
企画・ディレクションである田中みゆきは、当初からこのプロジェクトを「見えない人のイメージを追いかけることを通して、人間の身体とそこから生まれるイメージのありようを浮かび上がらせるプロジェクトです」と定義しており、そこに「障害者のために」という言葉は一言もない。もし、このプロジェクトが「障害者のため」のものであったなら、個人的にはそこまで深く関わろうとは思わなかったかもしれない。もちろん、障害者のためのこのようなプロジェクトがあることはとても重要だと思うし、実際、プロジェクトを進めていくにあたり、視覚障害者の視点はとても重要なものとなった。けれども、「健常者が障害者のため」に行うのではないプロジェクトだからこそ、僕は、新しいダンスの形としてこのプロジェクトや、このプロジェクトを巡って積み上がっていく言説をおもしろがれた。
では、それはどのような形のダンスとして発展していったのか?本稿では、ショーイングの様子とともに、その過程をレポートに記載された言葉から見ていこう。
「ダンスの本質」に向き合った初年度
1年目に中心となって語られていたのは「ダンスを見るとは何か?」あるいは「我々は、どのようにして『ダンスを見た』と言っているのか?」という問いだった。視覚を使わずに、それでもなお「ダンス見た」と言うための条件とは何か?それは、まるで禅宗の公案のような無理難題だ。
1年目のショーイングには、研究会によって振付・ダンスを務めた捩子ぴじんのダンスをほとんど精確に言葉に置き換えた音声ガイド(朗読|加藤和也)、捩子自身によるダンサーの踊っている感覚を言葉に置き換えた音声ガイド(朗読|安藤朋子)、そして、能楽師の安田登によって体内空間を「部屋」と見立てた音声ガイドの3種類が用意され、それぞれが観客の手元に用意されたイヤフォンから流された。
初めて経験する「ダンスの音声ガイド」という課題に対して、誰もが戸惑いながらも創作を行っていった1年目。そのレポートを読み返すと、さまざまな反省点を残しつつも、初めてのチャレンジによって「ダンスの音声ガイドは可能である」という一定の成果を収めた達成感のようなものが感じられる。そんな中でも興味深いのが捩子による「『ダンスを見る』ということと、『ダンスを踊る』ということがイコールであってほしいという自分の考えを、今回の仕事を通じてあらためて強く意識しました」という言葉。音声ガイドをつくるという行為は、振付家である捩子にとって「ダンスの本質とは何か?」という問いに向き合うのと同義のものとなったようだ。
また、安田登は、古事記に書かれている天の岩戸神話を取り上げながら「日本最初の舞は暗闇で行われていた」と、暗闇とダンスとの関係を語り、謡におけるイメージの変容の楽しみ方など、視覚情報が優位になる近代以前の文化における「見る」という行為について取り上げている。「見る」ことそれ自体の意味に遡る彼の言葉は、その後に続くプロジェクトの大きな基礎となったように感じる。
「体験」という言葉を掴む
しかし、1年目の成果を踏まえて行われた2年目のプロジェクトは、やや停滞した。
2年目の音声ガイドとして研究会がつくったのは、機械音声によって捩子の動きを精密に描写し、水音や擬音といった演出を加えたガイド。この他に、演劇作家・岡田利規による、観察者がメタレベルな視点から主観を交えて「ダンスを翻訳したものとしてのテキスト」(岡田)を使った音声ガイド(朗読|川崎麻里子)、そしてラッパーの志人による、ダンサーを「名無しの魂」という胎児に見立てた物語による音声ガイドの3種類が用意された。
研究会では、1年目の研究会の反省会で出た「状況はわかったけど、それでダンスをまた見たいとは思わない」という中途失明者の言葉から「ダンスを見に行きたくなる音声ガイド」づくりにチャレンジした。初年度が晴眼者と中途失明者が一緒になってガイドをつくっていったのに対して、2年目は中途失明者が中心になってガイドがつくられていった。しかし、手探り状態で行われながらも一定の手応えを感じていた初年度に比較して、その結果は決して満足いくものにはならなかったようだ。
言葉、水音、擬音、そして舞台上の生音などさまざまな情報で構成された音声ガイドは、「ダンスを見に行きたくなるガイド」を志向しつつも、結果的に「舞台上の出来事を聴覚に集中させた作品になっていたところがVRっぽい」(捩子)もの、つまり、リアルタイムでダンスを体験する必要がない形になった。また、岡田、志人それぞれの作家による音声ガイドも、とても多くの情報が詰め込まれ、イヤフォンを付けながら視聴すると、言葉の洪水に翻弄されるような印象を受けた。別の言い方をすれば、どこか「ダンスが言葉に従属してしまった」ように感じてしまったことを記憶している。
結果的に、1年目ほどの手応えには至らなかったものの、2年目を踏まえて、このプロジェクトはひとつ大きな言葉を見つけた。それが「体験」という言葉だ。
今年、セッション1(「耳で観ること、目で聴くこと」)を実施した時に、「見えない人と聞こえない人との感覚が似ているんじゃないか」という声が出たんです。彼らの感じ方には、体験を通してある共通性があるのではないか。何人かが、そんな指摘をしていたのが印象的でした。
それぞれ「目が見えない」「耳が聞こえない」という違いはありますが、聞こえない人は、音以外の情報から自分がそこにいたらどう感じるかで音を想像しているし、見えない人は視覚以外の情報から浮かび上がってくるイメージを体感している。わたしたちは、音や映像をただの情報として捉えているのではなく、それ以外の感覚も使いながら「体験」を立ち上げているのではないかと思うんです(田中)
音声ガイドという枠組みには、見えない人に対する「情報保障」としての意味が含まれる。しかし「視覚や聴覚は単なる情報ではなく体験を構築するものではないかと考えると、音声ガイドに必要なものはニュートラルな客観性ではない」(田中)という発見は、音声ガイドの意味を大きく変えた。この年のレポートで、研究会メンバーであり中途視覚障害者の岡野と、哲学者・國分功一郎との「環世界」(生物学者・哲学者のユクスキュルが提唱した概念。ある生物が経験している知覚世界を意味する)をめぐる対談が行われたのは、そのような問題意識からだろう。
この対談において語られたのが、「環世界」の生み出され方。「失明を経験する過程で、自分の環世界がガラッと変わっていった」という岡野。しかし、「自分の中にある感覚がシフト」し、「聴覚や触覚といった情報の配分が増加」することによって別の環世界へと移行することができたという。一方、社会によってつくられる健常者モデルの問題点を指摘すると同時に「その中にいる自分自身も、自分の環世界を把握していないということを前提にすること」の重要性を語った。
情報を与えて「見せる」のではなく、「体験」という世界を立ち上げること。その発想は、3年目のプロジェクトに引き継がれるものとなった。
身体・言葉・発話が絡み合うダンス
これまで、ショーイングでは3種類の音声ガイドが用意されてきた『音で観るダンスのワークインプログレス』。しかし、finalと銘打たれた3年目は、詩人の大崎清夏によって書かれた言葉が使われた。「身体がひとつ 跳ねている」という言葉から始まる彼女のテキストは、少ない情報量で聴き手の感覚を刺激する。そして、彼女が書いた言葉を、ダンサーの山下残がライブで朗読をした。
しかし、今年のショーイングで何よりも大きく変わったのが、これを「音声ガイド」と呼ばなかったこと。プロジェクトの方向性は「音声ガイド付きダンス」ではなく、「音で観るダンス」という、新たな形式に挑戦しようとしていた。そのため、テキストは副音声のようにイヤフォンから流れるのではなく、あくまでも舞台上で流される音としてスピーカーから観客に届けられた。そして観客は、椅子に座って眺めるという一般的な形ではなく、正方形に区切られた舞台面の周囲に直接腰を下ろす。例年通り、1回目は明るいまま、2回目は暗転の中で捩子のダンスは踊られた。
その体験を別の言葉で表すならば「演劇のようだ」と言えるものかもしれない。舞台上では、捩子の身体と大崎の言葉とが同じ質量で拮抗しながら、空間を織りなしていく。「柏手(かしわで)」という言葉の後に、柏手が響くと、その動きは柏手にしか見えなくなる。また「西へ 東へ 未来へ 過去へ」という言葉に反応するかのように、捩子は舞台上を忙しく動き回る。動き・言葉・発話が互いに連動し合い、反応し合い、時には反発しあいながら空間が立ち上げられていった。それは、「言葉と身体」を使った芸術である演劇の目指す空間のようなもの。「音で観るダンス」という新たな形式からそんな演劇的空間が立ち現れてくるのはとても興味深い体験だった。
では、これが暗闇となり、捩子の動きが見えなくなった時にはどのような効果を生んだのだろうか?
舞台の周囲に座った観客には、捩子が生み出す振動や息遣いなどの「気配」だけが感じられる。それを感じ続けていると、どこか捩子の身体が人の形を失っていくような気がしてきた。もちろん、晴眼者である自分には、さっき見た捩子の動きが記憶として残っている。しかし、暗闇での知覚は、視覚の記憶という確かさを揺るがしていく。大崎の言葉は「人間」という言葉ではなく「身体」という言葉を主語にしたもの。暗闇の中で、それまで「人間」だった捩子は、イメージの中で「身体」に変化していったのだ。もしかしたら、岡野が経験した環世界の変容は、このようなものだったのかもしれない。
視覚障害者のためではなく、もちろん健常者のためだけでもなく、視覚障害者も健常者も含まれた「わたしたち」のためのダンス。2017年から2019年にわたって行われた「音で観るダンスのワークインプログレス」は、言葉が動きを補うのではなく、動き、言葉、発話、そして気配が反応し合うことによって、まったく別の効果を生み出すダンスに結晶し、3年間のプロジェクトにひと区切りをつけた。