耳で観ること、目で聴くこと

  • 日時、2018年ごがつにじゅうななにち。にちようび。13:00から16:00
  • 会場、カート神奈川芸術劇場、アトリエ
  • 講師、ひらつかちほこ、バリアフリー映画鑑賞推進団体シティライツ代表
  • ゲスト | 牧原依里(映画監督、『東京ろう映画祭』ディレクター)
    岡野宏治(「音で観るダンスのワークインプログレス」2017年度研究会モニター)
  • モデレーター | 田中みゆき(キュレーター、本プロジェクト企画)

音声ガイドは視覚情報を音で置き換える手法だが、視覚情報を言葉に変換する作業は、必ずしも起こっている出来事を伝えるだけでいいとは限らない。晴眼者は、視覚情報を通して、言葉にしづらい表情の変化やふとした仕草などから微妙なニュアンスを読み取って、意思疎通を図っている。視覚が伝える複雑な情報のどの部分を切り取るかで、伝わる世界が変わる。一方、ろうの人たちはどのように音ではない方法で情報を受け取り、共有しているのだろうか。視覚以外の情報からイメージを構築する視覚障害者の岡野宏治さんと、聴覚以外の情報から手話という身体表現を構築するろう者である牧原依里さんとの対話を通して、新たな音声ガイドの可能性を模索していく意図のもと、セッション 1を企画した。

まずは映画の音声ガイドについて、普及の状況や基本的なルールなど、平塚千穂子さんから簡単なレクチャーをしていただいた後、実際に音声ガイドを聴いた。映画『西の魔女が死んだ』を一部抜粋したものを 3パターン(①音のみ、②音声ガイドと音、③音声ガイド付き映像)で体験。音のみだとまったく手がかりがなかったものが、台詞が入ると声色やトーンからその場面の雰囲気を感じ取ることができる。さらに音声ガイドが入ることで、場所や人物の動きがわかり、より想像の助けになる。そのため、音声ガイドはガイド作成者の主観を伝えるのではなく、台詞など本編の音を生かしながら、限られた時間でどの情報を選び、伝えるかが重要と平塚さんは言う。

そして、映画の中でダンスシーンに対して現状どのような音声ガイドがつけられているかを鑑賞した。『雨に唄えば』、『Shall we ダンス?』、『ウォーターボーイズ』という3つの作品を、①ガイドなしの映像、②ガイド付きの映像の順に鑑賞。

『雨に唄えば』はバリアフリー活弁士の檀鼓太郎さんによるライブ実況がつけられていた。いわゆる客観的に状況を説明する音声ガイドとは異なる手法で知られる檀さんは、雨の中踊る主人公、ジーン・ケリーになりきって演じているかのような実況をしていた。それを手話通訳した橋本一郎さんも、牧原さんが「手話通訳というよりそのもの」と指摘するほど、檀さんのように生き生きとした手話を披露。会場からは笑いと大きな拍手が起こった。「踊り全体のグルーヴ感、目に見えないエネルギーの動きも言葉で伝わってくる点が、動きを説明する音声ガイドと圧倒的に違うところ。檀さんは役者なので実感しながら言葉にできる」と岡野さんは興奮気味に感想を伝えてくれた。「手話も音声ガイドも、やっている本人が楽しいと感じていると、動きや言葉以外に発しているものが伝わってくるのではないか」、と平塚さんも指摘する。 一方、『Shall weダンス?』で取り上げたダンスシーンは、ストーリーの中の人間関係を描いた場面だったため、ダンス自体のエネルギーは伝わってこないという感想が牧原さんからも岡野さんからも出る。最後の『ウォーターボーイズ』に関しては、「集団でのフォーメーションの描写が多く、『雨に唄えば』のように流れとしてつながって頭に入ってこない」と岡野さん。牧原さんは、ダンスシーンだけを切り取ると感動が伝わりづらいという印象を持ったようだ。引きの多いカメラワークが関係していたかもしれない。

最後に、牧原さんが監督した映画『LISTENリッスン』に音声ガイドをつけてみるワークショップを行った。『LISTEN リッスン』は無音の映画で、ろう者にとっての音楽とは何か?をテーマとしている。もともと音声ガイドはつけられていない。それは、非言語を扱っているため、言語に変えてしまうと意味がなくなってしまうこと、そして聞こえない人たちの表現やアイデンティティを否定することになるのでは、という考えからそうした結論に至ったという。

踊り全体のグルーヴ感、目に見えないエネルギーの動きも言葉で伝わってくる

今回は敢えてワークショップとして行うということで特別に許可を得て、何人かがその場で作成した音声ガイドを発表した。情景を伝えるガイドや、詩のような音声ガイド。岡野さんは「色々な人のガイドを聞くと、イメージが立体的になってくる」「頭の中のイメージが言葉によって違うものに変換されていくのが不思議な感じ」と音声ガイドを聴きながら自らの頭で起こっていることを説明する。牧原さんも、「改めて言語化することで、つくる側と観客側の視点が異なることを音声ガイドを通して発見した」と言ってくれた。

セッション中に、「映像やダンスを観る際、音を何かに置き換えて捉えているか」と牧原さんや参加者のろう者に質問した時のこと。置き換えているのではなく、そのまま自分の過去の体験と重ねたり、写っている人の表情などからストーリーを読み取ることでその中に音楽が見えてくる、という回答は非常に興味深いものだった。岡野さんの言う「エネルギーを感じる」こととも通じる部分があるのかもしれない。いきなり変化球から始めたセッションだったが、その後につながる実り多い時間となった。