のうがくし やすだのぼる

しもがかりほうしょうりゅうワキ方能楽師として活躍する安田のぼる氏は、独自の方法で音声ガイドを作成し、自ら読み上げた。舞踏やコンテンポラリーダンスの流れを汲む捩子ぴじんのダンスを、安田氏は「体内に入り込んできた異物」に見立てて聞き手の身体感覚に働きかけながら声でガイドをしていった。いったい、安田にとってダンスを「音で観る」とはどのような感覚なのだろうか?そして、論語、万葉集、象形文字といった古代文学に親しむ安田にとって、「障害」とはどのような意味を持つものなのだろうか?

暗闇から始まった日本のダンス

インタビュアー 安田さんによって制作された「ガイド3」は、「わたしは部屋である。わたしの中に何やら異物が迷い込んだらしい」という舞台設定から始まり、「部屋」の中でうごめく異物の動きが描写されました。いったい、安田さんはどのような発想から、このガイドを発想されたのでしょうか?

やすだ まず、今回のガイドをつくるにあたって想定したのは、先天的に目が見えない人でした。目は見えていないけれども、身体感覚に対してはセンシティブな人を想定しているんです。ガイドのコンセプトとしては「聞いた人の体内ですべてが進んでいく」というもの。何も見えない時、自分の意識は体内に向いていきますよね。捩子さんは目の前で踊っていますが、実はそれは自分の中で起こっていた......という感覚を与えられればと思ったんです。

インタビュアー 「身体感覚」へと意識を向けるために「部屋」という舞台設定となったんですね。

やすだ そう。部屋は自分の体内である、ということです。

インタビュアー ガイドでは、安田さん自らが声を当てています。能で使われるような独特の発声ですが、発話の仕方、ニュアンスなどにも何か意図があったのでしょうか?

やすだ まず、ガイドをつくるにあたって「論理の世界」から離れたいと思いました。普通の声で読むこともできますが、能の発声のようにノイズを含んだ声で読むことによって聞き手には違和感が生まれます。それによって「これはなになにである」という論理性が弱まってしまいます。

インタビュアー 安田さんの言う「論理の世界」とはどのようなものでしょうか?

やすだ 現代の文字化された言語は、論理と結びついています。しかし、シュメール語(古代メソポタミアで使用されていた言語)や古代ギリシャ語、あるいはハワイ語といった古くからの言語を勉強していると、それらの言語は論理ではなく「人の心」と結びついているように感じられるんです。ただし、「心」といっても個人個人が持つものではなく、共同体の中にある「集合的な心」のこと。誤解を受ける言い方かもしれませんが、もっとスピリチュアルなものと結びついているように感じるんです。

インタビュアー そのような「集合的な心」に近づくために、聞き手の論理的な思考を弱めることが必要だった、と。

やすだ そう。目が見えないという状態を想像すると、意識が個人の中に入っていきます。しかしその一方で、身体感覚は研ぎ澄まされ、風のそよぎや周囲の微かな音などの外側に対しても意識が働いていく。すると、個人を超えて「集合的な心」に近づいていくんです。ただ、能が1回見てもなかなかわからないようにそんな感覚も1回見ただけでは理解は難しいかもしれません。100回くらい体験してただけば、そんな集合的な心も、より伝わっていくと思うのですが。

インタビュアー そもそも、日本においては視覚障害とダンスの関わりはあったのでしょうか?

やすだ 日本最古の歴史書である『こじき』には、アメノウズメによって日本で最初の舞が行われたと書いていますよね。アマテラスが岩戸の中に隠れてしまい、アメノウズメが舞ったことによって周囲の神々が盛り上がり、その様子が気になってアマテラスは岩戸の中から顔を出します。しかし、アメノウズメが踊っているとき、たいようしんであるアマテラスが岩戸に隠れているのでこの世界は闇に包まれていた。つまり、アメノウズメによる日本最初の舞は、暗闇の中で舞われていたんです。

インタビュアー そのように考えると、「見えない舞」こそが日本における最初の舞なんですね。

やすだ また、先程の「集合的な心」という意味においては、『古事記』が前古代と古代との間に生まれた書物であることはとても重要です。古代の書物を読むと、すでに文字が個人の感情と結びついており、集合的ではありません。しかし、前古代は、必ずしもそうではなかった。『古事記』には、アメノウズメの舞の時に「それまで黙っていた草や木が喋り出した」と書かれています。また、「大祓の祝詞(神道の祭祀に用いられる祝詞の一つ)」を見ると、天孫降臨によって「言問ひし磐根木根立草の片葉をも事止めて」、つまり、岩や草木が喋るのをやめたとも書かれています。前古代においては、そもそも草や木が喋っているということが一般的な発想だったんです。

世阿弥にとっての「見る」

インタビュアー 世阿弥から650年にわたって続く能の世界においては、視覚障害者や聴覚障害者が鑑賞をしていたという記録はあるのでしょうか?

やすだ 能の歴史にはそのような記録はありません。ただ、それに近い事例があります。能には「謡」という声楽のパートがあり、江戸時代にはアマチュアの愛好家も習っていました。江戸時代の「謡会」という発表会では、お客さんと謡う人の間に御簾を立ててお互いを見えなくしていたという記録がある。つまり、謡会においては「見えない」ことがデフォルトだったんです。

インタビュアー なぜ、視覚を制限することが必要だったのでしょうか?

やすだ 謡を聞くことによって頭の中にさまざまなイメージが浮かんできます。例えば、結婚式で有名な『高砂』という謡がありますよね。「高砂や、この浦」と謡が始まると、聞き手には海岸のイメージが浮かんできます。そして「この浦船」となった時に海岸から船が浮かんでくる。そして、船が出ていくと「波の淡路の島影や」で「泡」と同時に「淡路島」が浮かんでくるんです。謡いには、観客がいろいろなイメージをメタモルフォーゼさせていくおもしろさがある。そのイメージに集中するためには、視覚情報がないほうが都合がよかったのでしょうね。ただ、視覚優位の現代ではそんなイメージの変化を遊べる日本人は少なくなってしまいましたね。

インタビュアー かつての人々は、謡いによって生起するイメージを「見る」ことができたんですね。

やすだ 過去の人々と現代の人々の「見る」という言葉の捉え方は異なっています。逆の例で言えば、古代中国で使われていた甲骨文字では、日食は「見る」ではなく「聞く」という文字で表現されているんです。

インタビュアー 日食を「聞く」?

やすだ 91年にハワイ島で日食があった時に足を運んだんですが、日食が始まる時間が近づくと鳥がけたたましく鳴きはじめるんです。しかし、日食が始まる時間になると、その鳴き声はピタッと止まる。稜線が赤く染まったキラウェア火山が見える中、波のザーっという音だけが聞こえる世界となりました。そして、日食が終わる時間になるとまた鳥が鳴き出したんです。

インタビュアー 前古代の人々は日食による視覚的な変化ではなく、聴覚的な変化を「見て」いたんですね。能の大家である世阿弥は「離見の見」「見所同見」など、「見」という言葉をたびたび使っています。やはり、世阿弥の「見る」もまた、現代人がイメージするような「見る」とは異なるのでしょうか?

やすだ そうですね。世阿弥も、岩戸開きの説話を解釈しているのですが、そこで至高の芸を「妙花面白」という言葉を使って説明しています。「妙」というのは言葉も心も行動も止まった、完全な暗闇のような状態です。そこで行われる舞を見て、神々は笑います。そして、アマテラスが岩戸が開くことによって光が当たり、神々の顔が明るくなっていく。それが「面白」なんです。

インタビュアー では、この「花」の意味するところは?

やすだ あまり説明がはっきりされていないんですが、わたしは、この「花」は「化」ではないかと思っています。完全な暗闇と光の間には、変化の一瞬がありますよね。これが「花」なのではないか。「いづれの花か散らで残るべき」と言われるように、世阿弥にとって「花」は残らないものというイメージです。変化の一瞬こそが世阿弥にとっての「花」ではないかと思います。

インタビュアー 「妙」という静止状態から、一瞬の「花」という変化を経ることで、観客が「面白」さを得ていく。

やすだ これらをまとめると、世阿弥にとってもまた「見る」とは「見えない舞を見る」ことであり、「見える直前の一瞬」でもあり、もしかしたら「見ないこと」も含められるかもしれない。すべてを包含したものが「見る」なのでしょう。

欠陥がない方が「障害」だった

インタビュアー お話を伺っていると、同じ「見る」という言葉であるにもかかわらず、時代ごとにその意味するところが異なっていることに気づかされます。では、現代において「disability(ディスアビリティ)」と言い換えられる障害に対しては少なからずネガティブなイメージが付きまといますが、古代ではどのような扱いだったのでしょうか?

やすだ そもそも、古代中国の「聖人」と呼ばれる人々は、ほぼ全員何らかの身体的な欠陥を抱えていました。孔子には背が異常に高かった、もしくは異常に低かったという両方の説がありますが、いずれにせよ身体的障害を持っていたと考えられる。また、精神的欠陥もあったし、出生的な欠陥もありました。彼は、卑賤な身分の出生だったんです。そして、そういった欠陥を抱えていなければ、古代中国では為政者になることはできなかったんです。

インタビュアー いったいなぜ欠陥を持ってなければ為政者にはなれないのでしょうか?

やすだ 古代中国では、楽人(音楽家)はわざわざ目を潰されます。現代的に解釈すれば、目が見えないことによって耳がよくなると言うこともできる。しかし、そのような論理的な理由ではなく「目が見えないことによって、霊的な世界と通じることができるようになる」というのが古代の世界観だったのでしょう。つまり、欠陥を抱えていないと聖性を獲得できない。だから、欠陥を抱えていなければ為政者になることができなかったんです。その観点から言えば、何らかの欠陥がない方がむしろ「障害」だったのかもしれませんね。

インタビュアー 欠陥があるからこそ、この世界とは別のモノと関わることができるということですね。では、そのような「障害」のイメージは、なぜ変化していったのでしょうか?

やすだ いちばん大きな変化は「文字」の誕生だったのではないかと思います。文字以前/文字以降では、さまざまなものが変化しました。女性社会から男性社会に変化し、「個人」よりも「組織」が重視されるようになります。「組織」を円滑に運営していくに当たっては、周囲に合わせた「アビリティ」を持っていたほうがいい。組織の側にとっては、コマとして使いやすくなるんです。

また、日本だけでなく世界的にも文字の誕生は灌漑農業(人工的に田畑に水を引く農業)の普及と大きく関わっています。灌漑農業を行うことによって、人々には余剰が生まれます。そこには富が生まれ、より多くの田畑をつくろうという欲望が生まれる。そこに「使う人」と「使われる人」という組織が発生し、「文字」が必要になっていくんです。

インタビュアー 灌漑農業が整備されることによって「組織」が生まれ、それによって「文字」が生まれていく。それによって、「アビリティ」を重視する方向に変わった社会構造が、数千年にわたって受け継がれてきた。

やすだ しかし、この数年の動きの中で、それがだんだんと変わりつつあるように感じます。わたしが子どもの頃、近所に盲目のおばあさんが住んでいたのですが、彼女が視覚障害でもあまり問題がなかったのは、当時はまだ馬車だったから。今のように車に轢かれるというリスクが少なかった。でも、テクノロジーの発達により自動運転で車が完全に制御されるようになれば、目が見えないということによって引き起こされるリスクは減っていきます。今後生み出される新たなテクノロジーが「ディスアビリティ」と言われる「障害」に対するイメージを変えるかもしれません。

インタビュアー では、これまでの話を踏まえて、安田さんは、今後『音で観るダンス』にはどのような可能性があると考えられるのでしょうか?

やすだ このような問いをダンスに対して問いかけることによって、「ダンスとは何か?」という根源にまで遡ることができ、暗闇の中で舞われた日本の最初のダンスに行き着くことができます。制作側も観客側も何度も繰り返しこの実験を続けていくことによって、新しい芸術が生まれてくる可能性は十分にあると考えています。

インタビュアー それはどのような芸術になるのでしょうか?

やすだ まだわかりませんが、今の時点でひとつ言えることは、「音で観るダンス」というのは目が見えない人にとっての補助ではなく、まったく新しい概念だということ。目が見えるということが障害になってしまう……そんなダンスが生み出されていくことを期待していますね。

やすだのぼるプロフィール。1956年、千葉県銚子生まれ。下掛宝生流能楽師。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も行う。また、日本と中国の古典に描かれた“身体性”を読み直す試みも長年継続している。著書に『異界を旅する能』『身体感覚で「論語」を読みなおす。』他多数。